長城のかげ

2005/10/30代表ブログ

長城のかげ

秋である。最近ビジネス関係の本をずっと読んでいたが、久しぶりに小説に手をつけた。 「長城のかげ」宮城谷昌光著。秦の始皇帝の悪政に対して立ち向かった運命の2人、項羽と劉邦の物語をいろんな角度から著した短編小説集である。 中国の歴史の中でも、あまりにも有名な2人である。漢という、400年余りも続く一大帝国を作り上げるのは結局「劉邦」なのであるが、昔この話を読んだとき、力で制圧していく項羽に対して、心で人心を捉え血を流さずに各城を取り込んでいく劉邦を応援したものだ。 項羽は貴族の出で、頭もよく、武芸に秀で、結局彼に対しては一人に対して100騎で攻め込んでも勝てないほどの腕前を持つ。それに対して劉邦は平民の出で、女癖が悪く、酒飲みでだらしない。しかし、彼が集まるところ人が集まり、みんなが楽しくなる。項羽が将軍に成ろうかという頃、彼は今で言う交番の警官といったところだった。 項羽は負け知らずで、99勝1敗。劉邦は1勝99敗。劉邦は最後の一戦だけ勝って漢400年の歴史を作ることになる。 誰が見ても、劉邦の勝ちはドラマチックである。かつて私もそう思っていた。 歴史というのは、いやなんでもそうなのかもしれない。要は見方、見る方向によって全く正反対なのだろう。言ってみれば、その人から見れば間違ったことを言っている人はいないことになる。 最近、私は項羽が好きになっている。力で押し、20万人に及ぶ秦の兵士を生き埋めにしたことは許されない。秦の阿房宮など歴史的に貴重な建造物を焼き払ったのも許されないかもしれない。しかし、それは彼の純粋さ故か。彼は妾が許されたこの時代において、唯一人「虞」だけを愛し続け、虞も項羽だけを愛し、項羽のために自害する。愛馬「」も項羽のために川に身を投げる。項羽は最期に28人の勇者とともに何万という兵士に立ち向かい、その気迫だけで一人の落伍者も出さずに自害する。 劉邦の戦いは常に負け戦である。ある戦いに敗れた劉邦は敵から逃げられないと思うや、自分の二人の子供を馬車から投げ落とす。子供はまた作ればいい。自分は死ねないのだという。彼の馬車の手綱を取る夏侯嬰は劉邦をいさめ、子供を拾い上げ、懸命に逃げ切った。劉邦の人生は周りにいる部下によって作り上げられている。張良、蕭何、樊、韓信・・・漢帝国を作り上げた功労者は彼らだ。彼ら功労者の何人かは漢樹立のあと、劉邦の疑心暗鬼によって打ち滅ぼされてしまう。 何度読んでも、いろんな角度から見ても、この二人のエピソードは不思議である。歴史とは本当に気まぐれなのかもしれない。 でも、私は私の信念を信じる。項羽のように最期に負けたとしても、私は自分の信念を貫き通す。生きていくということ、仕事をするということはそういうことなんじゃないかな! 力山を抜き 気は世を蓋う 時、利あらずゆかず ゆかずしていかんとすべき 虞や虞や なんじをいかんせん