香乱記

2006/08/01代表ブログ

香乱記

宮城谷昌光さんの「香乱記」を読み終えた。 項羽と劉邦で知られる楚漢戦争を背景とし、そのどちらにも属さずに秦に対抗した斉の田横の物語である。 楚漢戦争で勝利をおさめ、それから400年続く漢を建国した劉邦は斉を陥落させるにあたり、斉王である田横に来朝するように依頼する。丁重に断る田横に何とか来朝させて、殺してしまおうとする劉邦。 劉邦の軍から逃げ延びた田横が、自分を慕ってついてきてくれた仲間を助けるため、自らの死を決意して劉邦からの呼びかけに応ずることにした。そして来朝する旅路の途中、田横は、二人の食客に向かって穏やかに最期の言葉をかけた。
「私は、かつて劉邦と同格の王位にあった。
だが今、彼は皇帝で、私は亡命者として彼に仕えることになる。
その恥辱はひどいものだ。私はその恥に耐えられそうもない。
それに、私は人の兄を殺しておきながら、その弟と同じ主君に仕えることとなる。
たとえ彼が勅命をはばかり報復してこないにしても、
私の心は彼に対してすまない気持ちでいっぱいであろう。
私は何の面目があって生きてゆかれるのか。
それにまた、陛下が私に会いたいと思われるのは、
私の顔を一目でも見ようという、ただそれだけのことであろう。
今、ちょうど陛下は洛陽におられる。
今、私の首を持って洛陽まで馬を早駆けさせれば、容貌も崩れず観察していただけるだろう。」
と言い、自分で首を掻き斬り、二人の食客にその首を持たせ、早駆けして劉邦に献上させた。
劉邦は大いに驚き、偉大な田横のために涙を流した。
「平民から立ち上がり、一族三人がかわるがわる王位についたのは、
やはり彼らが立派で、人の心を打つ行動を取っていたからだったのか。
今、ようやくわかった。なんと立派な人間ではないか。」
そして、その食客二人を都尉に任命し、兵卒2000人を動員して王を葬る格式で田横を葬った。
葬儀が終わると、食客二人は田横の墓の脇に穴を二つ掘り、二人とも田横のあとを追って自刎した。
劉邦はこれを聞いて心打たれ、田横の食客はみな優れた人間だと考え、
まだ島に残っていた500余人を都に召し寄せた。
彼らは、洛陽に到着し田横の死を知った。
そして、やはり食客500余人は田横の後を追って自殺して果てた・・・ 私は以前にも書いたように、この項羽と劉邦の話がとても好きです。 そして、今回ここに斉の田横が加わります。 劉邦はこの後、400年に及ぶ漢帝国を作り上げることにより英雄のようにかかれますが、私の中では最悪の人物です。この劉邦を思うとき、私はひとりの身近にいた人物をいつも思い浮かべます。 この劉邦という人は、楚国北限の泗水の近くの出身です。実家は農家でした。若い頃から定職に就かず盗賊や人殺しと付き合っていて、自分もゴロツキでした。女好きで、結婚もしていないのに子どもがいました。もちろん近所の評判は最悪でした。しかし滅法きっぷが良く、かれの周りには自然と人が集まってきたといいます。 歴史の不思議。 こんな人物が神に選ばれるなんて。そして田横のように清い魂を持つものがえらばれないとは。 劉邦は、自分を帝にしてくれた前述の仲間に加え、最高の軍功のあった韓信までも疑い、殺してしまう。欲におぼれ、人を信ずることができない。自分の子供まで自分が逃げおおす為に見捨てる劉邦。それをいさめて連れ戻す部下。自分を皇帝にしてくれたそんな部下をことごとく切り捨てる劉邦。 私とともに生きてきたあなたを、私は結局、欲で物事を判断しない人に育てることができませんでした。本当に申し訳ありません。さてそんな劉邦にも似たあなたは部下に対して責任が本当に取れるのか。自分の家族を守れるのか。決してやってはいけない不文律を犯したあなたが、これから、自分の周りを守ってくれる人たちを大切にできるのか不安です。 決して、仲間を裏切らないように・・・決してお客様を裏切らないように・・・かつて一緒に仲間として生きた者として切にお願いいたします。 未熟な私も、願わくば田横のように、大きな志の中でその生をまっとう出来る様に生きてゆきたい。