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ふとした午後に、自分の人生に会いに行ってみる。

2013/04/30代表ブログ

ふとした午後に、自分の人生に会いに行ってみる。

大好きな村上春樹の「色彩を持たない多崎作ると、彼の巡礼の年」を読み終えた。前回の「1Q84」とは違い、読み初めから「何を伝えたいのか」伝わってくる感じがした。その分、安心して読むことが出来た。読む時間が制限されている分、読むのに3日かかってしまった。が、次の展開を早く知りたい。そんな思いを抱かせる作品だ。時間がとれるなら、ボリューム的には2,3時間で読めてしまうだろう。久しぶりに大きな予定の無い休日。いつもどうり休日のルーティンワークを終え、2時間の自転車トレーニングを終えてしまうとあとは自分の時間だ。早速本を持ち出して、作中にも出てくるListの「Le mal du pays」をかけながら読み始めた。ちょっと、「ノルウェーの森」的な感じがいまひとつでした。(あくまでも私見です)でも、このぐらいのボリュームが村上春樹的にはいいような感じがします。(本当は短編が好きです)そして、作中の時代背景が「高校時代と大学時代」。私が夢中になって読んだ「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」。作中の主人公の年代設定も大学生。私も村上春樹に出会ったのが大学生(約30年前・・・)。そして、感受性が学ランを着ていたような高校時代。社会人でもなく、大人でもなく、子供でもない。知能は大人でも、経験が少なすぎて感受性ばかりが先走りしてしまう。そんな年代の奥底にある、本人にも気づけない心の闇。言葉に出来ない裏表の衝動。ぞわぞわと隅のほうで蠢く感情。そして、そこからにじみ出てくる黄緑色の膿。形而上学的な世界。私も50歳を越え、親友と呼べる友に久しく会ってない。高校時代の友人は今そばにいるので、何かイベントがあると会うこともあるが、大学時代の友人にはこちらから出向こうとしない限り会わない。失われた時間を埋めることによって、実益的ではないが、人生の選択のひとつの基準を補完する要素を取り込むことが出来るのかもしれない。正しい生き方をするのも大事かもしれない。無駄の無い時間のすごし方も大事かもしれない。それと同じ位、角張った自分の人生を丸くふんわりと包み込むような、そんな過去に対する慈しみのようなものも大事かもしれない。柔らかな時間が流れる初夏の午後に、リスト「巡礼の年 第一年 スイス」を聴きながら少し濃いめに大好きなコーヒーを入れてみた。久しぶりに心が、リビングの深いソファーに沈みこんでいく感触を味わった。