「ブッダの言葉」の感想文への感想
「穏やかに生きたい」のですね。私はひねくれ者です。もちろん「仏陀の言葉」は私の本です。(シータの本棚にあったものは)以下は、私の持論です。私は常々、「嬉しい」とか「喜び」とか「楽しい」とか言う事はその反対の「辛い」とか「苦しい」とか「きつい」とかそういったものを知らなければ存在しないものだと思っています。普段みんなが「楽しい」とか「嬉しい」とか言う感情があると思いますが、それはその反対の「辛い」「苦しい」の程度に応じて表れてくると思います。想像してみてください。朝から晩までずーっと「心穏やか」だったら。365日ずーっと「心穏やか」だったら。10年間ずーっと「心穏やか」だったら。なんか苦しくないですか?ごめんなさい。本当にひねくれ物なんです。「喜怒哀楽」これが本当の人の生き方なんじゃないでしょうか。静かに語るときもあれば、大声で叫ぶときもある。抱き合って喜び合う事もあれば、大声を上げて泣き叫ぶときもある。ひざをかけて泣く事もあれば、暖かい腕の中で安心できるときもある。最近、感情を出さない若者が目に付きます。すごく穏やかで、落ち着いています。きっと心の中にいろんなことを考え、怒りや悲しみ、喜びを持っているはずなのに、決して外に出していない・・・つもり。実際は、「穏やか」を誤解しています。若いうちに感情を消す事など出来ません。ばればれです。そもそも消す気など無いのでしょう。どちらかというと、「下を向いて暗い顔してるけど、別に何も無いよ。でも、言葉でいえないから気づいてね」といったところでしょうか。「死生観」を語るには、相当な経験が必要だと私は思います。そもそも、「生きる」とは「死ぬ準備」だと私は思っています。そこまでいけば、「心穏やかに」は意味を成してきますね。若いうちは、目の前にあるやらなければならない事を、とにかく我武者羅に突き進む事です。この時期は、そこからしか答えは見えてこないと思います。