目に見えない、本当に大切なもの
先日、ノーベル生理学、医学賞に大隅良典さんが決まったことについて書いた。
その大隅さんが近年の我が国の大学を中心とした研究環境に対して苦言を呈しているようだ。
「近年、すぐに企業や社会で役立つ短期的な成果ばかりが追及され、それが可能な分野やグループにもっぱら資金が流れてゆく。逆に、時間がかかる、しかも、その成果が確実には見えにくい基礎研究が軽視されている。これは長期的に見た場合、日本の科学研究にとって危惧すべき事態である」
最近、私は全く同じことを自分の仕事について考えていた。
常々、美容師は職人であって、その性質は一般のサラリーマンとは違う。
私はその職人になりたくてサラリーマンをやめ、この世界に24歳の時に飛び込んだ。
20代、30代は技術を磨くことに専念し、それを心から楽しんだ。
とにかく経済的には削れるものは削り、時間の許す限り勉強した。
多分、その時代には考えなかった事なのだと思う。
なぜなら、心からみなこの仕事が好きだったからだ。
それは、お客様に心から喜んでもらおうと真剣に勉強していたからだ。
今、美容師もサラリーマン化し、マニュアルを覚えてスタイルもパターン化している。
何より、教える先輩がマニュアルを教えることに専念している。
一見、もっともなことに聞こえるが、そこに美容の楽しさはない。
私たちが次の世代に伝えなければならないものは、技術だけじゃない。
技術を通して、美容の楽しさを教えなければならない。
技術があると、とりあえずの仕事ができる。
何とか体裁は整うのだ。
でも、そこには「創作をする楽しさ」と「作業をする労働」の違いがある。
創作は楽しいが、作業はつらい。
一見、同じことをしているが、お客様は感じ取ります。
何より、自分が一番感じ取っています。
創作をしていれば、いつまでやっていても苦ではありません。
作業をしていれば、定時で帰りたいものです。
私たちが、技術の前に伝えなければならないもの。
大隅さんが「基礎研究」と呼び、時間がかかり、成果がすぐに表れにくいもの。
私たちは人を素材として、デザインを提供しています。
物を素材として、形を提供しているのではありません。
技術を伝えることは手段です。
その手段を使って本当に伝えなければならないもの。
すぐに見えない、人を相手にしたときに大切な、人としてあるべきもの。
私たちは、それを美容の楽しさを伝えることによって、後世に受け継いでいかなければならないのだと思います。
真に正しいことは手間がかかり、本当の情熱がなければ伝えられないものです。
そして大切なものこそ、目に見えないものなのかもしれません。