観念の眼鏡
ついに老眼鏡を作ってしまった。
友人はだいぶ前からみな作って持っているのは知っていました。
自分は普通に本も読めるし、特に必要ないかななんて思っていたけど、
最近、確かに小さな字を読むのがつらくなっていました。
おかげで近くは見えるようになったけど、眼鏡をかけたままでは遠くがぼやけてしまいます。
じーっと我慢していると、それなりに慣れてはきます。
慣れてくるとそれほど不自由ではなく、眼鏡を通して物を見ていても大丈夫になってきます。
しかし、実際には外してみるとそこにはものすごくクリアな世界が広がっています。
老眼鏡は近くは見えるけど、遠くはうまく見えていないのです。
人は自分の育った環境、どのように育てられたかによって「観念の眼鏡」をかけるようになります。
いい悪いではなく、自分の価値観でしか物が見えなくなるのです。
良く見えない眼鏡を通した世界が真実だと思い続け、本当の世界を見ようとしなくなります。
真実が見えないというのは本当に不幸です。
自分がうまくいかないこと。
自分のお給料が上がらないこと。
自分の地位が上がらないこと。(認めてもらえないこと)
自分を支持する後輩がいないこと。
全て人のせい。
思い切って「観念の眼鏡」を外して、遠くを見てみるのもいいものです。
遠くはよく見えるし、晴れ晴れとした気持ちになります。
眼鏡をはずすのは「自分の意志」です。