転機
毎朝読む新聞の記事に「話の肖像画」というお気に入りのコーナーがある。先週は三起商行(ミキハウス)の木村皓一さんでした。
木村さんは週に一回は野球を楽しみます。が、3歳のころから小児麻痺の影響で一時、右半身が動かなかったようです。歩くことさえ困難だった少年時代をすごしていたのですが、初恋&失恋から一念発起、新聞配達を利用したリハビリで普通に動けるようになりました。
でも、それは簡単ではなく、足が不自由な子供を雇ってくれる新聞屋さんなどなかったのです。
初恋が勘違いだと気づいた時、思ったようです。
「ちゃんとせなあかんと思った。それまで人生なめてて、甘えて、足が悪いのを逆に利用してた。掃除とかいやなのはせえへんかった。遠くへ遊びに行くのに誘ってくれへんかったら、何でやねんと怒って。ものすごく勝手やった。だから、計画立てて、小学校卒業までにゆっくり歩けるように、自分の足を支えられる身体にしようと決心した。」
人生の中にはいろんなきっかけがある。そのきっかけに気づくか気づかないふりをするかで人生は大きく変わってしまう。
私も人生をなめていました。それほど裕福でない家なのに皆と同じように大学に行きたかった。親は働いて欲しかったようだが、どうしても東京に行きたかった。
大学を卒業の年にも、本当にやりたいことについて真剣に考えず、夏は真っ黒になるまでいろんなところに旅行した。就職活動はきっちり10月1日開始。大手電機メーカーに決まる。今は、3年生になると会社訪問などするようだが、全く状況は違う。
入社した12月に退社するわけですが、それまで真剣に自分が何をしたいのか、一生の仕事として何と選択したらいいのか考えませんでした。
お給料は周りの大卒に比べ、1.5倍くらいもらっていました。きっちり休みも取れ、エンジョイでき、仕事も楽で、毎日が平凡でした。
ある朝、通勤途中の電車の中で気分が悪くなり、駅のホームに下りました。こんな事1度もありません。なんといっても健康がとりえなのですから。
夢がなかったのです。
未来が見えなかった。
手ごたえがなかった。
美容師として、最初のお店に入ったのは23歳でした。自分を表現したかった。自分の感性を形作りたかった。初めから最後まで自分が考え、手を加えていったものを作りたかった。はじめは美容師としての個人的な作品だった。コンクールに出て、念願の賞も取れた。
横浜でも、銚子でもたくさんのお客様に支持をいただきました。自分が考えたコンセプトでお店を出すことも出来ました。
今、自分の願いは自分と同じように次の世代に「生きていくこと」を伝えられる人を育てたい。それを伝えられる場所を作りたい。
美容師をなぜ自分が選択したのか、それは「必然」だったのだと今は感じています。