生きるということ
友人のお見舞いに行ってきた。
先日の10月に一緒に自転車のレースに参加したチームメートである。
まだ2ヶ月しか経っていないというのに、
彼にはもうすでに私を認識することはできない
目を開いていてもそこに私の姿はなく、
言葉をかけても、その意味を理解することはない。
50年も生きていると、やっと生や死というものが
少し身近に感じられるようになる。
しかし、「精神的な死」というものを感じたのは初めてだった。
そしてそれは、私や私が大切にする家族、友人達にまったく無関係ではない。
20代、30代で死を感じる人は少ないでしょう。
もうすぐ50代になる私には
私に残された時間が、頭の後ろに冷たく張り付くのを感じる。
そしてまた死を感じて、初めて「生」というものが少しわかった気がする。
それは、まさに表裏一体で、まったく同一の存在としてそこにある。
自分が、生まれてきた意味や自分がここに存在する意味。
次の世代に「生」をつないで行くことにこそ、
自分の、自分たちの使命があるのだ。
先日の10月に一緒に自転車のレースに参加したチームメートである。
まだ2ヶ月しか経っていないというのに、
彼にはもうすでに私を認識することはできない
目を開いていてもそこに私の姿はなく、
言葉をかけても、その意味を理解することはない。
50年も生きていると、やっと生や死というものが
少し身近に感じられるようになる。
しかし、「精神的な死」というものを感じたのは初めてだった。
そしてそれは、私や私が大切にする家族、友人達にまったく無関係ではない。
20代、30代で死を感じる人は少ないでしょう。
もうすぐ50代になる私には
私に残された時間が、頭の後ろに冷たく張り付くのを感じる。
そしてまた死を感じて、初めて「生」というものが少しわかった気がする。
それは、まさに表裏一体で、まったく同一の存在としてそこにある。
自分が、生まれてきた意味や自分がここに存在する意味。
次の世代に「生」をつないで行くことにこそ、
自分の、自分たちの使命があるのだ。